2010年12月24日金曜日

「コンテナ」の賃貸住宅が大人気 毎月1人78円?深セン

 深セン市では「住人コンテナ 毎月1人6元(約78円)」の広告が見かけられる。深センの不動産価格は1平方メートルあたり約2万元(約26万円)と住宅価格が高騰する中で、コンテナという非常に安い「賃貸の集合住宅」が話題を呼んでいる。チャイナネットが報じた。

 ◆価格

 コンテナ:改装後の面積は約13平方メートル。コンテナ1個は1万2000元(15.6万円)で、1平方メートルあたり約900元(約1万1700円)。

 分譲住宅:深セン市の不動産の平均価格は1平方メートルあたり2万元(約26万円)。

 ◆位置

 コンテナ:近郊地区などの場所。しかしコンテナは移動可能なため、住む地域が変わっても住宅は変えずにすむ。

 分譲住宅:市の中心や郊外など自分の希望で選択できる。しかし一度そこに住むと変更するのは難しい。

 ◆外観

 コンテナ:自分の好みで思うようにペイントできる。嫌になれば塗り直しがきく。

 分譲住宅:外観は開発業者の設計によるため、自分では変えることができない。(編集担当:米原裕子)

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引用元:売買 不動産 | 松山市

2010年12月9日木曜日

【レベルス??3“女子高生グラドルファイター”飯田なおがファンに尻キック?

  9月23日(木?祝)東京?新宿FACEで開催されるREBELSプロモーション『REBELS.4』に出場する、“女子高生グラドルファイター”飯田なお(新宿レフティー)。

【フォト】このイベントの模様

 史上最年少テコンドー(ITF)全日本王者からムエタイ?キックボクシングに転向し、モデルプロダクションにも所属。現役女子高生アイドルとして『週刊プレイボーイ』のグラビアで特集されるなど幅広く活動し、キックボクサーとしてのプロデビューを目指している。

 その飯田のファーストイメージDVD『Shooting Star?闘う現役女子高生』(75分/定価3,990円/株式会社マックス)が8月27日に発売され、DVD発売記念イベントを9月4日(土)東京?外神田のソフマップ音楽CD館で行った。

「タレントの世界に入ったきっかけはスカウトされたことです。スカウトしてくれた人は、テコンドーをやってるなんてコトは、知らなかったみたいですけれど(笑)。もともと芸能界にはそんなに興味はなかったんですが、お仕事をいただけるなら…なんて感じで」と、トークショーにて芸能界入りしたきっかけを語る飯田。

 出来上がったDVDを見ての感想は「ジャケットは、制服なんですけれど、幼い感じでなんか私じゃないみたい。貫地谷しほりさんに似てるって言われます。間違えて買ってくれると嬉しいんですけれど(笑)」というものだったという。

 DVDの見どころについては、「DVDは、5月末にバリ島で撮影しました。バリ島ですから、海はもちろん、自然の中でのいろんなショットがあります。中にはベッド、でなんてちょっとセクシーなものもありますけれど(笑)。でも一番自分らしさが出ているのは、バリのジムで撮った練習風景だと思います。普通のキックボクシングの練習風景が普通にDVDに入ってます。アイドルのDVDではかつてないことかもしれませんね。服装はもちろん水着じゃなくて(笑)、キックパンツにTシャツです」と、水着シーンよりも練習風景に注目して欲しいとキックボクサーらしい答え。

 また、「バリの想い出は、美味しい料理をいっぱい食べられたことですね。あ、でもゲテモノも食べさせられました! カエル、コウモリ、いろいろ……。DVDにも入ってます」といった見どころも語った。

 トークショー終了後には、テコンドー王者&キックボクサーということで、希望者にはお尻にキックのサービスが……。たくさんのファンが飯田のキックを受けた。司会の村山ひとしさんにはかなり厳しい一発が入ったようで、悶絶して一時イベントが中断するという一幕も。

 イベントの最後には「テコンドーの得意技は、ハイキックと後ろ回し蹴りです。14歳の時に優勝して全国チャンピオンになりました。14、15、16歳と3年連続で優勝して、現在はキックボクシングに転向して頑張っています。これからはまた格闘技に専念しようかと思っています。最初で最後のDVDになるかもですよ。みなさん、ぜひよろしくお願いします!」と締めくくった。


REBELSプロモーション
「REBELS.4」
2010年9月23日(木?祝)東京?新宿FACE
開場16:00 開始17:00(予定)

<全対戦カード>

▼第12試合 WPMF日本ウェルター級王座決定トーナメント 準々決勝 WPMF日本ルール 3分5R
板倉直人(スクランブル渋谷/WPMF日本同級1位)
VS
関ナオト(u.f.c/WMF世界スーパーウェルター級王者、WPMF日本同級6位、元J-NETWORK同級1位、元日本同級4位)

▼第11試合 WPMF日本ウェルター級王座決定トーナメント 準々決勝 WPMF日本ルール 3分5R
渡部太基(藤原/WPMF日本同級5位、元全日本ウェルター級9位)
VS
島一生(TARGET/元ラジャダムナンスタジアム認定スーパーウェルター級9位)

▼第10試合 WPMF日本ウェルター級王座決定トーナメント 準々決勝 WPMF日本ルール 3分5R
田中秀弥(RIKIX/WPMF日本同級4位、RISE同級1位、元J-NETWORK同級3位)
VS
藤倉悠作(ASSHI-PROJECT/WPMF日本スーパーウェルター級9位、元J-NETWORKミドル級4位)

▼第9試合 WPMF日本ウェルター級王座決定トーナメント 準々決勝 WPMF日本ルール 3分5R
T-98(=タクヤ/クロスポイント吉祥寺/WPMF日本同級9位、RISE同級5位)
VS
影日“ポパイ”和徳(ボス/J-NETWORK同級4位)

▼第8試合 WPMF日本スーパーフライ級ランキング戦  3分3R延長1R WPMF日本ルール
関 正隆(昌平校/M-1同級王者、WPMF日本同級2位、元NKBフライ級王者)
VS
信末小僧(Team KOYA/WPMF日本同級8位、元NKBフライ級王者)

▼第7試合 スペシャルアマチュアマッチ 48kg契約  2分2R REBELSアマチュアルール
飯田なお(新宿レフティー)
VS
松田奈々(湘南格闘クラブ)

▼第6試合 スペシャルアマチュアマッチ 45kg契約 REBELSアマチュアルール 2分2R
小笠原瑛作(クロスポイント吉祥寺/KAMINARIMON-45kg級ジュニア王者)
VS
名倉拓海(堀切KMC桜/M-1アマチュアムエタイ50kg級王者)

▼第5試合 スペシャルアマチュアマッチ 40kg契約 REBELSアマチュアルール 2分2R
市来一勢(スクランブル渋谷/KAMINARIMON-45kg級ジュニア王者)
VS
天心ケイリバー(K-RIVER/M-1アマチュアムエタイ40kg級王者)

▼第4試合 スーパーウェルター級 WPMF日本ルール 3分3R
シノ?KRSジム(KRS/クロスポイント吉祥寺/WPMF日本スーパーウェルター級7位)
VS
CRAZY884(CRAZY GYM/RISE DEAD OR ALIVE TOURNAMENT ’07 第3位)

▼第3試合 スーパーバンタム級 WPMF日本ルール 3分3R
出貝泰佑(バンゲリングベイ?スピリット)
VS
キョウヘイ?ゴールドライフジム(ゴールドライフ)

▼第2試合 スーパーライト級 WPMF日本ルール  3分3R※ヒジなし
前田将貴(RIKIX)
VS
中根幸三(平井)

▼第1試合 スーパーフェザー級 WPMF日本ルール 3分3R
稲葉 茂(新宿レフティー)
VS
ソン?ヨンミン(平井)

<チケット料金>
VIP席15,000円 SRS席15,000円
S席10,000円 立見 4,000円
※当日券は各席1,000円増し。
※A席、B席は完売。


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飯田なおにインタビュー「キックボクシングで有名になって……」


引用元:ローズ(Rose) 専門サイト

2010年10月28日木曜日

「朝日、オリコン、裁判所」ともあろうものが?

――朝日新聞、AERAを経て、2003年に独立したジャーナリストの烏賀陽弘道。音楽や映画業界のみならず、さまざまなジャンルを追い続け、彼の独自の視点と緻密な取材による記事は一般読者から高い評価を得ていた。

【写真:猿回しの仕事がなくなったという話を取材している烏賀陽さん】

 しかしフリーになった3年目に、“書けないジャーナリスト”になってしまった――。多くの“烏賀陽ファン”は、彼の記事を楽しみにしていたのに。

 中学生のころから「文章を書いて、メシが食えたらいいなあ」と思っていました。好きなことといえば音楽を聞くこと、自転車に乗ること、そして文章を書くこと。小説を書いて作家として生きていけるなんて思ってもいませんでした。インターネットどころか携帯電話もない時代だから「会社に就職して文章を書いて働ける仕事」というと新聞記者くらいしか思いつかなかった。今ならブロガー少年にでもなってたんだろうなあ(笑)。

 学校の帰りに本屋に寄って、本多勝一、立花隆、柳田邦夫といったジャーナリストたちの作品を貪り食うように読んでいました。「この世界はこんなに深い奥行きがあるのか」「そんな世界を見て、書ける。ジャーナリストってすごいな」などと思っていました。で、身の程知らずにも「ジャーナリストになりたい」という願うようになった。いま振り返ると、世間知らずなボンボンのたわごとなのですが(笑)。

 大学を卒業するとき、普通に「就職活動」をして朝日新聞社に入社しました。当時の夢は「海外報道」でしたが、最初に配属されたのは三重県の津支局。失礼ながら当時はコンビニもない田舎で、取材活動には英語の「エ」の字もいらない(笑)。ボクは当時23歳。初めてプロとして取材をして記事を書き、がくぜんとしました。読者だったときは「こんな記事、読むに値しない」と思っていた地方版のベタ記事すら書けない。話が聞けない。記事が書けない。満足に写真すら撮れない――。自分は職業人として“無”であると痛感させられましたね。海外報道なんて夢のまた夢です。しばらくはそのことは忘れようと決めた。そして記者としての初歩スキルを習得することに全力投球しました。

●26歳、リクルート事件取材班のメンバーに

 入社3年目、26歳(1989年)のときの話です。愛知県の岡崎支局にいました。なぜか東京本社のリクルート事件取材班のメンバーに選ばれ、3カ月ほど東京で取材することになりました。「リクルートコスモスの未公開株を受けとった」と疑惑を受けた藤波孝生さん(元官房長官。故人)の選挙区は三重県。ボクの初任地が三重県だったから、取材班のメンバーとして呼ばれたんじゃないかな。

 「取材班」というとカッコイイんですが、仕事は藤波さんを24時間尾行?監視すること(笑)。彼が起訴されるまでの約3カ月、記事も書かずにただただ後ろにくっついていただけ。あまり知力のいらない仕事ですが、記者としての視野を少し広げることができたんじゃないかと思います。なぜかというと、それまで三重県の津市と愛知県の岡崎市しか知らなかったボクが、いきなり東京で中央政界を取材することになったから。永田町で国会議員を取材している記者はたくさんいますが、その議員の選挙区を歩いて取材した人は案外少ない。逆に、地方で選挙区を担当している記者は支局にたくさんいますが、その議員が永田町で何をしているのかを知る記者は案外いない。1人の記者が複数の現場を取材して「あ、これは違う」「ここは同じか」と感じることはとても大切だと今でも思います。

 藤波さんが起訴されたことで、ほとんどのメディアは「藤波さんは次の選挙で落選する」と予測していました。しかしボクは「絶対に当選する」と確信していた。なぜなら、三重県の人をよく知っていたから。人柄が穏やかで、長期の人間関係を大切する三重県で「汚職議員だから」と藤波さんに背を向ける人はほとんどいなかった。彼は自民党は離党しましたが、1990年に行われた総選挙で当選します。東京の大手メディアは「不思議だ」「信じられない」と言っていましたが、東京と三重の両方を取材していたボクにとっては、むしろ当たり前の結果でした。

●会社はいつでも辞められる理論

 名古屋本社の社会部(入社5年目、28歳)在籍中に「新聞記事を書くのは、もういいな」という感じがし始めました。満腹感っていう感じかな。新聞記事というのは、基本的に誰が書いても同じようなもの。誰が書いても同じになるようにテーマの選び方や文体を管理している。誰がやっても最終製品が同じになるような組織運営がされている。「もっと自分でないと書けない記事はないだろうか」「ボクだからこそこの記事が存在した」と模索し始めました。しかし朝日新聞社はそんなことを記者に求めていない。それが分かってきました。

 同業他社への転職やフリーランスになることも考えました。精神的にも肉体的にも疲れていたので「母校の大学院にでも行こう」と思っていたら、いきなり上司が雑誌『AERA』へ行けと言い出した。「まあ全国紙に就職したんだし、一度は東京で働かないと損だろう」とちょっと退社を先延ばしにした。「『AERA』で働いて、ちょっと様子を見るか。つまらなかったら、その時点で会社を辞めればいいや」と思っていました。「会社はいつでも辞められる理論」ですね(笑)。

 アエラ編集部に配属されると、驚いたことに「何を取材してもいい」と言われました。好きなことを取材をさせてもらって、好きなように書かせてもらえる。そして実際に「烏賀陽がいなければこの記事は存在しなかった」という記事を書かせてくれたんです。新聞で書いていたときには「これは面白いけど書けないネタ」の連続でしたが、アエラ編集部に来て、その「書けない領域」が消えました。例えば三重県警を担当したいたときには、火事だ汚職だ爆発だと警察記事ばかり書いていました。それは自分が選んだ仕事ではなくて、仕事がボクを選んだだけ。「オレは音楽のことを書けば、面白い記事を書けるのに」という自信があっても、三重県に音楽のネタはなかった(笑)。

 ところが東京に来てみると、メジャー、インディーズ問わずレコード会社は山のようにあるし、コンサートもたくさんある。日本のミュージシャンだけではなく、外国からもたくさんやって来る。ネタがたくさんあるので毎日「アレも書きます、コレも書きます」といった感じ(笑)。

 「烏賀陽ではないと書けない記事」といっても、案外簡単なんです。例えば「新宿や上野でドラッグが簡単に買える」ということを聞いたので、潜入取材を試みました。散髪をせずに、無精ヒゲをはやして、汚い服装で、実際に売人に会ってドラッグを買いに行きました。するとマリファナが簡単に買えてしまう。いや、買う寸前で止めましたけど(笑)。覚せい剤、コカイン、ヘロイン、LSD……まるで「ドラッグ天国」のように買えるわけですよ。ボクがかつていたニューヨークよりも東京の方が、ドラッグの種類が多く、簡単に手に入る――というルポを書きました。この記事の反響はとても大きくて、海外メディアからもボクのところに取材に来ました。

 東京の繁華街の真ん中でドラッグが堂々と売られていることを、なぜ大手企業メディアは報道しないのか。答えは簡単で、そういうネタを担当する新聞記者は、それがネタだという発想がもうない。彼らはかつてのボクのように、「警察担当」として上野なり新宿警察署のクラブに詰めている。売人が逮捕され、警察が発表すれば、彼らは「警察のアクション」として書くかもしれない。しかし記者クラブから数百メートルしか離れていないとこでドラッグが買えるという「警察は動かないが、日常的な現実として存在する事実」は、彼らには記事のネタではない。そういう取材手法があることを記者の動作として認識してないんです。

 ボクがしたことは「政府の秘密文書を入手する」といった難易度の高い作業ではなく、変装して公園に行っただけ。これは発想の問題です。「人と違う発想をするかどうか」――たったそれだけの違いが、記事の違いになる。そんな簡単なことですら、新聞記者はもうできない。発想がオリジナルな記者はいるかもしれませんが、少なくとも紙面には表れない。毎日、いつかどこかで見た記事が紙面を埋め、読者はうんざりする。記者にも読者にも不幸なことです。

●35?36歳のとき、念願の海外勤務

 35?36歳にかけては、アエラの駐在記者としてニューヨークに派遣されていました。学生のころに「新聞記者で海外勤務、署名記事を書き送る」という夢を見ていましたのですから、図らずも週刊誌記者でそれが実現したわけです。

 ニューヨークでも、さまざまなテーマを取材しました。1998年の着任早々、円ドル相場で戦後最大のドル下落が起きたので、記事を書きました。それまで国際通貨のことなど書いたことがないのに、着任早々いきなり英語で取材をして、ベテラン金融記者のような顔をして書くわけです。なんとも罪深いことですが(笑)。もちろん読者はそんな言い訳は認めてくれません。ベテランだろうとルーキーだろうと読者には関係がない。また東京から「マイケルジョーダンが引退するから書け」と命令されれば、取材して書いたりもしました。

 もちろん大半は自分で企画した記事でした。例えば、当時はITベンチャーブームだったので、なぜ米国にはたくさんのITビジネスが生まれ、日本には育たないのか、という内容の記事。シリコンバレーやシアトルを訪ねてベンチャー業界をインタビューして回りました。アマゾンやスターバックスの社長も会いましたよ。またベンチャー企業に資金を提供するベンチャーキャピタルも取材しました。当時の日本でベンチャーキャピタルはまだ黎明期だったので、彼らがどのように資金を集め、どのようにして投資しているのか、内容を書きました。

 「この記事はボクでないと書けない。そんな記事を書こう」「そうでないとボクが書く意味がない。他の誰かがやればいい」と自分に課していた。読者からは「こんな記事は、ほかで読んだことがない」といった手紙やメールをたくさんもらった。そんな瞬間がいちばん記者冥利に尽きましたね。

●アエラという氷山が分離した

 新聞記者の時代とは違って、アエラ在籍中は「自分がやりたいこと(ほぼイコール記号)仕事」という関係になっていました。もちろん「なんでオレがこんな取材をせにゃあかんのじゃ」という記事も必死で取材しましたよ。「相撲協会の内紛」とかね(笑)。会社からサラリーをもらっているんだからそれは当然。とはいえ「自分が選ぶ仕事」>「会社がボクにやらせる仕事」だったから、サラリーマンとしては幸せでした。

 ただ30代後半になって、これ以上は前に進めないという壁に突き当たりました。それは「取材記者からデスクワークの管理職にならなければいけない」ということ。現場の記者になりたくてこの仕事を選んだのに、管理職になると1日中会社に座って他人の原稿をチェックしたり、勤務時間の計算をしなければいけない。やっと自分のやりたい仕事ができるスキルが身に付いたと思ったのに「ええっ、もう管理職?」「もう一丁上がり?」ですよ。

 またアエラの編集方針もずいぶん変わりました。雑誌は生き物なので、編集部にいる記者や編集者によって自然にカラーができるものです。が、悪くするとそれが固まってしまう。アエラでは「働く30歳代女性」を掲載したら、それがやたらと売れた。売れるとまたやりたくなる。で、似たようなテーマばかり反復する。最初は「東京23区でもっとも子育てにやさしいのはどこか」とか、ちゃんと取材していました。しかし「収納カリスマ主婦に聞くウルトラ収納術」みたいな“まんま主婦雑誌やんけ記事”が増えてきた(笑)。雑誌のページは一定ですから、女性向けの記事が増えれば他は圧迫される。ネタが通らなくなる。自分が取材した記事が掲載されない。もう1999年ごろの話ですけどね。南極にいるボクはそのままだけど、アエラという氷山が分離して、どんどん遠くなっていくような感じでしたね(笑)。

●40歳で、朝日新聞を退職

 アエラ編集部には28歳から38歳までの10年間いました。そこを出るとき、もう新聞記者に戻るという気持ちはなかったですね。週刊誌記者として充実した取材を10年続けて、いかに新聞が無味乾燥でオリジナリティがないということが分かったから。記者クラブはもちろん関係があるのですが、それ以上に「ボクでなければ書けない」ネタを載せる仕組みが社内にない。そんな時間は与えられないし、上司も評価しない。明日になれば発表される警察の特ダネだったら、ボクより上手な人はたくさんいる。そんな世界に戻るのは自分の人生にとってロスだと思っていました。

 アエラ編集部を離れ、次は『ぱそ』という初心者向けのPC雑誌で、編集者の仕事に携わることになりました。会社の命令です。編集者という仕事も初めて、PC雑誌も初めて15年間積み上げてきた記者としての経験や人脈は、まったく無用の長物……。何の役にも立ちませんでしたね。

 会社員としての人生を送るにあたって「自分のやりたいこと」と「会社がボクにやらせたいこと」――この比率が50対50なら、幸福だと考えることにしていました。しかし、PC雑誌の編集者になった時点でこの「臨界点」を超えてしまった。つまり自分のやりたいことよりも、会社がボクにやらせたいことの比率が大きく上回り、針が振り切れてとまった。

 そして40歳のときに、朝日新聞社を辞めました。会社を辞めることに対する不安ですか? 不安どころか、安心材料なんてひとつもない(笑)。朝日新聞社の給与は手取りで毎月40万以上あったのが、それがゼロなんだから。ボクは人一倍臆病なんですよ(笑)。いつも「本当にフリーランスでやっていけるのか?」と自問自答するんですが、結論はいつも「いや、食っていけるはずがないぞ」になってしまう(笑)。

 会社を辞めてるとき「自分は何をするべきなのか」はよく分かりませんでした。しかし「何をすべきではないか」は分かっていた。それは「朝日新聞社に残っていること」。あのまま会社に居続けては、ボクは間違いなく職業人としてダメになっていたでしょうね。

 とりあえず書籍の依頼が2?3あったので、本を書くことに自分の力を注いでいこうと決めました。「本を出して、反応を見てみよう。今から5年経ってダメだったら、まあまたそのときに考えりゃいいや」と思っていました。

●43歳、オリコンから訴えられる

―― 2003年、烏賀陽は朝日新聞社を辞めた。しかし3年後、ある「事件」に巻き込まれることとなる。月刊誌『サイゾー』(2006年4月号)に掲載された「ジャニーズはVIP待遇!? オリコンとジャニーズの密月関係」という記事で、烏賀陽はサイゾー編集部から電話取材を受けた。しかしその掲載された烏賀陽名義の「コメント」に対し、オリコンは事実無根の名誉毀損として出版社やライターを訴えずに、烏賀陽のみを提訴したのだ。

 「訴状」が届いて開封した瞬間、すべてが吹き飛んでしまいましたね。その日から違う人生に入ってしまう、ようなものです。裁判対策で仕事ができない。収入が減って、徐々に追い詰められていくんですよ。2007年から2008年の年収は120万円。「もしかしたら自分のフリーランスのキャリアが終わってしまうかもしれない」という恐怖と戦っていました。

 オリコンは「烏賀陽は長年にわたって虚偽に満ちた誹謗中傷を繰り広げた」と主張していました。屈服すれば、オリコンの言い分を認めるようなもの。ボクが20年間積み上げてきた職業人生がそこで終わってしまう。だから崖っぷちに立たされようとも、逃げるわけにはいかなかった。

 オリコンのように嫌がらせ目的だろうと、自分たちにとって都合の悪い情報が流れるのを防ぐ目的だろうと、民事訴訟は誰にでも起こせます。そして訴えられた側は、弁護士を雇って対抗しなければならない。弁護士費用は着手金だけでも100万ほどかかる。もしそれが支払えなかったら、法廷で負けてしまう。紙切れ1枚を裁判所に持っていけば、誰でも裁判を起こせる。そんな簡単な手続きで、相手にさまざまな苦痛を与えることができる日本の民事訴訟は、とても危険なシステムになってしまったのではないでしょうか。

 裁判で争っているとき、多くの人は「そんなバカな訴訟はすぐに裁判所が棄却するでしょう」と言いました。ボクも「裁判所は弱い者の権利を守る砦」と思っていた。が、甘かったですね。東京地裁は「烏賀陽に名誉毀損の責任がある」という判決を下しました。もしメディアの取材に応じたことで、名誉毀損の責任を負わされれば、誰もマスメディアを通して発言なんかしない。東京地裁の判決は「普通の市民が意見を発言する権利」を奪ったようなものでした。

――オリコンは2009年7月、東京高裁に「請求放棄」を表明した。請求放棄とは「自分の訴えに理由がないこと」を認める手続き。つまりオリコンは一方的に敗北を宣言し、勝手に自滅した。

 33カ月間にも渡ってボクを苦しめたこの裁判は、オリコンの“完敗”で終わった。「こんなみっともない負け方をするくらいなら、何のために提訴したのか?」と考えると、ものすごく腹が立ちますね。

 しかしこの裁判を経験し、いろいろなことを学びました。都合の悪い意見や批判を封じるための嫌がらせ提訴のことを、欧米では「SLAPP」(strategic LAWSUIT against public participation)と言います。米国(28州?地域)ではその被害を防ぐ法律があります。しかし日本には米国のような反SLAPP法が存在しません。「嫌がらせ提訴をこのまま野放し状態にしておいていいのか」――ボクはそのことに注目していて、近い将来、SLAPPの現状や問題などを本にまとめるつもりです。「インターネットと言論の自由」も次の本のテーマとして待っています。

 オリコン裁判で失ったものはたくさんあるのですが、その一方で得たものもあります。その1つは「烏賀陽さん、何か力になりますよ」「烏賀陽さん、無償でいいから動きます」という友人がたくさんいてくれたこと。カンパを集めてくれたり、裁判に関するWebサイトを立ち上げてくれたり。「なぜこんなにたくさんの人が助けてくれるのかな」とよく考えました。自分はそんなに立派な人間じゃない。きっとこれまで地道に仕事をしてきたからだろう……それくらいしか思いつきませんでした。

 思い返せば、朝日新聞社を辞めたときもそうでした。「会社、辞めたんだって? 生活大変だろうから、ちょっと手伝ってくれない?」と声をかけてくれる人がたくさんいました。ボクは敵をつくりたいとは決して思いませんが、この仕事をしていると人を批判することは避けられない。なので必然的に恨みを買ってしまうんです。でも同時に、助けてくれる人もできる。ボクは人をだましたり、利用したり、裏切ったりは絶対にしなかった。ひょっとしたらそのおかげで、土壇場に追い込まれようとも、孤独にならなかったのかもしれません。(本文?敬称略)【土肥義則,Business Media 誠】


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引用元:アイオン-ナビ AION-NAVI - AION,アイオンの掲示板,BBSです,ユニーク 装備の情報,WIKI 攻略,RMT コンビニなどサービスを提供します。

2010年10月27日水曜日

UGG ERIN 5202 (Pink) VIVIVI

http://www.vi-vi-vi.net/
UGG ERIN 5202 (Pink)


UGG? Erin ベビーブーティは、最高品質の豪華なツインフェイス シープスキンを使用し、UGG? Australia ならではのクラフトマンシップが活かされています。 シンプルな Velcro 留めで、簡単かつ楽に脱ぎ履きできます。 UGG? Australia のベビーブーティは、お子様をたっぷりの愛情で包みます。 ※ 最上級本革シープスキン。 ※ 快適で屋内使用に適したソフトなソール。 サイズの目安: ○ スモール = インファント シューズサイズ 1~3 (0 ~8か月) ○ ミディアム = インファント シューズサイズ 4 ~5 (9 ~16か月) ○ ラージ = インファント シューズサイズ 6~7 (17 ~24か月) UGG? ツインフェイス?シープスキンブーツは足の形に沿って馴染むため、 足にぴったりとフィットする快適なサイズをお選びください。 UGG?フットウェアは、シープスキンのクッション性と保温性を活かせるよう、素足で履くことを前提にデザインされています。


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UGG ERIN 5202 (Pink)

2010年10月1日金曜日

AION開発者インタビュー,AION 2.0を機に全世界統一仕様

 日本では7月17日でサービス1周年を迎えた「The Tower of AION」,韓国では過去再大規模の拡張となるAION 2.0がすでに実装されて話題となっている。そんなタイミングでNCsoftからAIONの開発者イ?ジホ氏が来日し,AIONの今後のコンテンツや世界展開について話を聞くことができた。以前行ったインタビューでも紹介したとおり,イ?ジホ氏はAION開発のワールドデザインディレクターを務めていた人物だが,現在では新たに設置された海外開発チームを率いているという。ここでは,海外開発チームの設置によってなにが変わるのか,そしてAION 2.0を機に変わってくるゲームの方向性やアップデートの詳細について紹介してみたい。


NCsoft AION Global Development Team / Team Leader イ?ジホ(Lee JIHO)氏
4Gamer:
 本日はよろしくお願いいたします。
 日本のサービス開始から1年ということで,これまでのサービスを振り返ってみていかがですか。

イ?ジホ氏:
 韓国のほうでは,さらに1年経過しているんですけれど,あっという間に1年過ぎたなと思うほど,慌ただしい1年でした。日本で,新たに1周年を迎えたということで,非常に感慨深いと思っています。

4Gamer:
 AIONは現在韓国でトップクラスの人気ゲームになっていますよね。MMORPGだと先行タイトルが有利で,大きな勢力を持っているゲームのほとんどは,かなり初期に始まったタイトルなわけですが,比較的最近始まったタイトルで目覚ましい結果を出されています。その理由はどの辺にあるとお考えですか。

イ?ジホ氏:
 まずは,弊社のリネージュでやリネージュIIといった大きなタイトルによる,会社のブランドパワーというのが根底にあったのではないかと思います。弊社の場合は,製品を早く市場に出すことよりは,とにかくクオリティを高めることに手間をかけています。ですので,そういう風に時間をかけてクオリティを確保したことが,よい結果に繋がったのではないでしょうか。
 AIONの場合,具体的に「この部分がすごくよかった」と大きな特徴があって,そこが受けているゲームというよりは,MMORPGの基本的な部分が,全体的にバランス良く取り込まれているということが,人気に繋がったのではないかと思います。

4Gamer:
 これは,韓国でサービスを始める前から,このくらいの反響はあるだろうと見込んで開発していたのでしょうか。

イ?ジホ氏:
 正直,予想を上回る反応でした。その当時は,韓国のMMORPGマーケット自体も,決していい状態ではありませんでしたし,そんなに大きな反響を受けるとは予想しなかったんです。ですが,実際にスタートしてみたら本当に多くの方が参加してくださって,嬉しい結果となりました。

4Gamer:
 当時韓国では,MMORPGではなくて,カジュアルゲームであるとか,FPSであるとか,むしろ小さめなゲームのほうに業界全体が流れていましたよね。その中で,大きなMMORPGを出したというのは,会社の方針なんですか?

イ?ジホ氏:
 その辺に関しては,いついつ市場に出す,というのを先に考えたというよりは,ずっと前から準備していて,それがやっと完成し,完成したから市場に出しただけで,周辺の状況というのを最初から考慮していたわけではありません。

4Gamer:
 韓国以外の地域,日本?欧米?中国,台湾などでは若干苦戦気味と聞いています。どの程度苦戦気味なのかは分かりませんが,そのあたりの状況と原因について,何か考えていることがあれば聞かせてください。

イ?ジホ氏:
 正確な原因については,私ではお答えできないと思いますので,今から申し上げるのはあくまで個人的な意見です。
 まず,韓国の場合はプレイヤーの意見を聞いて,それをすぐにゲームに反映できるスピードを持っているということですね。また,韓国では,開発者,つまり多くのスタッフがいて,問題にすみやかに対応できる,そういった仕組みができています。つまり,それだけ多くの人を投入して対応しているということです。しかし,海外の場合はプレイヤーの意見を聞いて,それを修正し,ゲームに反映するまでかなりの時間がかかっているのです。
 それと,AION1.9バージョンまでは,すべての国に対して同じオプション,同じ内容でサービスをしていましたので,その国ごとのニーズというものに対応できませんでした。私が思うには,こういった部分が大きな要因だったのではないかと思います。

4Gamer:
 いろいろ問題が起きたときにスピーディに対応できるとのことですが,日本での状況は,サービスが始まった途端に,トラブルの連続になっていました。その辺は韓国NCsoftさんから見てどうだったのでしょうか。

イ?ジホ氏:
 日本だけでなく,いろんな国で一緒にサービスをしていますので,その部分に関しては開発ではどうしようもない状況でしたが,本当に残念でした。今までは,とにかくゲーム本体を開発することに集中していましたので,ほかの部分に力を割くことができなかったんですね。
 しかしこれからは,そういった問題を解決することに集中したいということで,海外開発チームを新たに結成しました。

4Gamer:
 新しく作られた海外開発チームというのは,何をするところなのか教えてください。

イ?ジホ氏:
 今までは,海外のプレイヤーのニーズを積極的にゲームに反映することができませんでした。ですので,海外のそういったユーザーの意見を取り入れたり,海外の嗜好にあったものを作る必要性がかなり大きくなり,開発チームの中に,海外開発チームというのを別途作って,海外に対応することになりました。

4Gamer:
 現在,AIONはいくつかの地域でサービスされているわけですが,地域ごとの特色とか要望とかで違いはありますか。

イ?ジホ氏:
 もちろんあります。例えば,PvPの場合も,国ごとにPvPを楽しんでいる国もありますし,あまり楽しまない国もありますよね。例えば,アメリカとヨーロッパを比較しますと,ヨーロッパのほうがPvPや,要塞戦を楽しんでいるという傾向があります。つまりヨーロッパの人のほうが攻撃的な傾向があるということです。それに反して,日本の場合はお互いが殺しあうということよりは,そうじゃないというものを望んでいるということです。
 また,アメリカでは一人でプレイをする人というのが,かなり見受けられます。ちょっと入ってきて,クエストを一つか二つこなして,ログアウトするという傾向の人が多いんですよね。パーティプレイはアメリカでは好まれていないような気がしますね。それから,1回ログインをしてプレイをする一人当たりの時間なんですけれど,西洋の人よりも東洋の人のほうが若干長いという傾向があります。

4Gamer:
 AIONのコンセプトは,PvPvEということで,対人戦がどうしても中心になっているわけですが,そういうPvPを好む人と好まないという人がいるということに関しては,どのように対応されますか?

イ?ジホ氏:
 楽しみ方というのは人によって違います。実は,ゲームを作った当時の予想とは非常に違った調査結果が出たことがあります。当初,RvRを好む人ばかりが集まると思っていたのですが,実際分析をしてみたら,そうではない人もゲーム内に大勢いたのです。
 ゲームのコンテンツには,かなりこだわっていますので,RvR以外のコンテンツもかなり用意してあります。ですので,RvR以外のコンテンツを好む人,楽しむ人というのが,予想よりも多かったということですね。とくにクエストの場合は,日本やアメリカのほうが,韓国よりも好まれているような気がします。

4Gamer:
 1.9までは,同じバージョン,同じ内容でやっていて,ということをさっきおっしゃっていたんですが,それ以降は少し変えているということでしょうか。日本では,一部のダンジョンでちょっと違いがあったと思うのですが,そういうのを世界的に行われている部分がある
引用元:エミルクロニクル(Econline) 総合サイト

2010年9月26日日曜日

「コンチェルトゲート」サービスサイトを本日オープン

 ゲームポットは,4月23日よりサービス開始を予定しているオンラインRPG「コンチェルトゲート」のサービスサイトを本日3月26日18:00にオープンした。


 コンチェルトゲートは,NHN Japanによって2007年7月よりハンゲームでサービスされていたタイトルで,スクウェア?エニックスによる企画/監修のもと,ポンスビックが開発を行っている。4月からの運営移管に伴い,本日サービスサイトが公開されたというわけ。

 そのサービスサイトオープンに伴い,本日より会員登録が開始されているほか,サービスサイトでは,本作を応援するラジオ番組「小清水亜美と喜多村英梨のコンチェルトゲートパーティ」ページ,掲示板などが公開されている。
 サービス開始までまだ時間はあるが,本作に興味のある人はサービスサイトを覗いてみてはどうだろう。

コンチェルトゲートサービスサイト:http://cg.gamepot.co.jp/
引用元:フリフオンライン(Flyff) 専門情報サイト

2010年9月17日金曜日

「トリックスター」,新年はハッピーバッグからペットを






FF14 rmt
アトランティカ rmt



トリックスター0 -ラブ-
配信元 ジークレスト 配信日2009/12/28

<以下,メーカー発表文の内容をそのまま掲載しています>

★☆ 新しい年のスタートはこれで決まり! ★☆

2010年版福袋 ハッピーバッグ登場!!

http://www.trickster.jp/










株式会社ジークレスト(本社:東京都渋谷区、代表取締役社長:西條 晋一)は、無料で遊べるオンラインRPG『トリックスター0 -ラブ-』において2009年12月28日(月)にマイショップにて、2010年版福袋『ハッピーバッグ2010』の発売を発表しました。
dragon nest rmt
また、その他のキャンペーンについてもお知らせいたします。



■□ 新しい年のスタートはこれで決まり!
ドラゴンネスト rmt
         2010年版福袋 ハッピーバッグ登場!! ■□











新しい年のスタートはこれで決まり!

2010年版福袋 ハッピーバッグ登場!!



○販売期間

 2009年12月28日(月) 定期メンテナンス終了 から

 2010年 1月12日(火) 定期メンテナンス開始 まで



○概要

 ご好評を頂いている福袋が今年も登場しました。

 今年のハッピーバッグからは、袴姿も凛々しいラブハンターロビンと、アンティークな着物の着こなしがバッチリ決まったステアが、皆さまに福をお届けします。



 ハッピーバッグ2010は、各タイプ別に4つのレベルでご用意。

 ペットの他に、持っているだけで幸せになれそうな、ハッピーなアイテムが盛りだくさん!





















 お年玉企画として、ペットの出現率が高く設定されております。

 ステアとロビンを連れて、新しい年を迎えたカバリア島で冒険しませんか?



※イベントの詳細につきましては『トリックスター0 -ラブ-』

 公式サイトをご確認ください。



■□ 来たる新年に向けて!ポイントダブルプラスキャンペーン ■□










来たる新年に向けて!ポイントダブルプラスキャンペーン



○実施期間

 2009年12月28日(月) 定期メンテナンス終了 から

 2010年 1月 4日(月) 12:00 まで



○概要

 今年一年お疲れ様でした。

 年の瀬を迎えるにあたり、欲しかったけど手の届かなかったアイテムなどはございませんか?



 そんな皆さんに気持ちよく年を越していただくために、この度、年末年始ポイントダブルプラスキャンペーンを開催します。

 

 この機会に、欲しかったアイテムをお得にGETしましょう!



※イベントの詳細につきましては『トリックスター0 -ラブ-』

 公式サイトをご確認ください。



■□ 年越しスペシャルキャンペーン!

          ガチャSPフィールド確率アップキャンペーン ■□











年越しスペシャルキャンペーン!

ガチャSPフィールド確率アップキャンペーン



○販売期間

 2009年12月28日(月) 定期メンテナンス終了 から

 2010年 1月12日(火) 定期メンテナンス開始 まで



○概要

 今年もカバリア島での冒険をお楽しみいただいた皆様のために、とってもラッキーなキャンペーンを開催いたします。

 

 なんと今回のキャンペーンの期間中、ガチャSPフィールドから発掘できるレアアイテムの出現確率がアップ!



 可愛い2人のサンタを手に入れられる、このチャンスをお見逃しなく!



 ぜひこの機会にガチャドリルをプレイしてみてください。

引用元:精霊物語グランドファンタジア(Grand Fantasia) 専門サイト